「推す」というその状態
「推し、燃ゆ」を読んだ。
SNSでまわってきた冒頭の文章に興味を惹かれ購入し、一気に読んだ。
骨太でゴツゴツとして、それでいて何かの拍子に全てが崩壊してしまうような危うさがあった。
とにかくこの作品をどのように捉えるかは、「推す」という状態に陥った経験があるかどうか、皮膚感覚として「推す」という状態がどのようなことかを理解しているかどうかで変わってくると思う。
「推す」というのは「行為」や「感情」ではなく「状態」なのだ。
「この人の素晴らしさがもっと多くの人に伝わらなければいけない」という使命感に駆られ、その必要があれば金を惜しまない。
エスカレートすると、「この人の素晴らしさがわからない世間や社会はセンスがない、おしまいだ」という独りよがりな攻撃性に変わり、その攻撃性がさらに金へと変換されていく。
ある意味それは社会への反抗である。
金で既存のシステムを変えられる可能性があるなら、金を使えばいい。
そこに性的な感情は介在しない。
「とにかくこの人の魅力に気付く人間が一人でも多くなればいい。」
その一心だ。
それが「推す」という状態そのものだ。
読んでいる最中、主人公あかりが「推す」アイドル、上野真幸のことを、僕はいつまにか「推し」ていた。
作中の同性アイドルを。
投票結果イベントのシーン、インスタライブのシーン、泣いてしまった。
「なんでこうなってしまったんだ。」
社会を恨んだ。
推しをこうしてしまった社会そのものを憎んだ。
この作品は、主人公あかりを通し、読者を上野真幸というアイドルを「推す」状態に陥らせてしまう。
そして、その状態を賛美することも、否定することもない。
ただただその状態そのものへの愛と寄り添いがある。
作者の一作目、「かか」も読もうと思う。
The Doors「Strange Days」
人生で一度だけ海外に行ったことがる。
アメリカ。
ロサンゼルス。
ハリウッド。
17歳のころ、当時通っていた専門学校の本校がハリウッドにあって、研修旅行という名目で現地に行った。
11月だったがとにかく暑く、そして乾燥していた。
毎日唇が割れて常に出血していた。
ハリウッドにはもちろんお土産屋がたくさんあった。
なにせハリウッドだから。
どの店にも様々な種類のジム・モリソングッズが置いてあった。
完全にハリウッドの象徴の一人だった。
ポスターとTシャツを買った。
ハリウッドの思い出は、唇の出血とジム・モリソンだ。
ドアーズのセカンドアルバム、「Strange Days(まぼろしの世界)」は、人生で一番好きなアルバムで、たぶんこの先その事実が変わることはないと思う。
暗い、陰気で地味なアルバムだ。
でも1曲目の「Strange Days」の冒頭の狂暴なオルガンを聴くたびに興奮と落ち着きが体に宿るのを感じる。
これまでに何度も聴いてきたし、これからも何度も聴くだろう。
もちろん今も聴いている。
書いていて、ロサンゼルスのホテルの部屋に、読もうと思って持って行った三島由紀夫の「仮面の告白」を置き忘れていたことを思い出した。
あれから14年くらい経つが、未だに読んだことがない。
太田光はカッコいい
去年の年末くらいから、「爆笑問題カーボーイ」を毎週聴くようになった。
生まれも育ちも関西カルチャーの人間にとって、爆笑問題というのはとても難しい存在のように思う。
間違いなく大物芸人だし、「あの芸歴でテレビでもポジション確立しているのに新ネタをやり続けていてすごい」的な一歩引いた変な客観的目線の評価をしてしまう存在。
主観的に「おもろいよな」と友達と語り合う存在ではないように思う。
少なくとも個人的なこれまでの人生においてそういう存在ではなかった。
生放送でいつも暴れる左翼芸の人間と、実は本当にヤバいと言われている人間のコンビ、というのが長年の個人的印象だった。
そんな爆笑問題、もっと言えば太田光についての印象が変わってきたのは間違いなく神田松之丞(現:伯山)と鬼越トマホークによるところが非常に大きい。
一回り以上下の芸人にめちゃくちゃにイジられる。
ラジオに鬼越トマホークを呼んで、27時間テレビで坂井が太田の首を絞めたことについて「殺そうと思った」「(スベり続けてたから)殺してあげたほうが良いと思った」と言い、それを聴いて「ガハハ」と爆笑する太田光にとてつもないカッコよさを感じてしまった。
それから太田光という人間に興味を持ち、「爆笑問題カーボーイ」を聴くようになった。
本当に不謹慎な話で自分の良心を疑ってしまうが、「爆笑問題カーボーイ」で一番聴き応えを感じるのは、近しい人間が亡くなった際に太田光が語るその人とのエピソードや人となりについての語りである。
感情が込もっているが感傷的になることなく、ある意味で淡々としている。
「この人は本当に人間のことが大好きで信じているんだな」と感じる瞬間である。
これまで太田光の社会的発言などを聴いても、ひねくれ者の逆張りとしか捉えられなかったが、「爆笑問題カーボーイ」を聴き始めることによって、良くも悪くも芯からヒューマニストなんだと思うようになった。
なぜ今こんなに太田光について書きたくなったかというと、ちょうど今週の「爆笑問題カーボーイ」で、ハっとする瞬間はあったからだ。
冒頭のフリートークで、「快傑えみちゃんねる」の終了について語っていた。
コロナの影響で客入れが出来なくなり、番組へのモチベーションが持てなくなったことが番組終了最大の原因と上沼恵美子本人が言っていることについて、「俺も上沼さんの言ってることわかるんだよ」と共感を言葉にしていた。
番組に客がいないということ、そのことが演者の心境にどのように影響するかということは、我々のような一般人には到底想像がつかない。
想像がつかないから、コロナ云々は番組を終わらせたい都合の良い口実だと言ってしまう。
共感が出来ない。
でも共感を言葉にすることで、共感する人間がいるという事実が出来た。
共感は出来ないけれど、共感する人間がいる事実があるというのは非常に大きなことだ。
物事への視点が広がる。
そのことは今のこの感情にまで論理的倫理的正しさを求める超ウルトラハイパー正義社会において一番必要なことのように思う。
太田光はカッコいい。
アルバムと打順
CDを買わなくなった。
大阪に引っ越してくるときに、当時所持していた400枚くらいを全て売った。
それからというもの、やはりアルバム単位で音楽を聴くということが本当に少なくなった。
毎日毎日、良いアルバムを探し求めていたのが嘘みたいだ。
本を読む時間が増えたという理由もある。
そんなに器用ではないから、本を読みながら音楽を聴くことが出来ない。
どうしても音楽の情報に気を取られてしまい本の内容が頭に入らない。
そもそも音楽がなかったって入らないことが多い。
それでもやはり自分の好きなアルバムを聴く時間というものをたまに設けたりする。
今まで1000枚くらい聴いて心に残っているものなんて30枚、多く見積もって50枚くらいだと思う。
50枚もあれば十分だとは思わないでもないけれども、やはりあとの950枚は何だったんだろうと思うこともある。
たぶんその950枚の中にも今改めて聴き直すと心に残るアルバムもきっとあるのだろうけれど、こればっかりはタイミングであり運命みたいなもので、縁がなかったと思う。
縁があればまた向こうからやってくるだろう。
好きなアルバムを改めて聴いていると、ふと気づくことがあった。
どのアルバムにも、2曲目、もっと言えば1曲目から2曲目までの流れで心を惹きつけられている。
1曲目が最高な曲で、あとは何も心に残らない出オチみたいなアルバムはいっぱいあった。
950枚のうちそのパターンも非常に多かったように思う。
そうなるとやはり2曲目の立ち振る舞いというものが自分の中でかなり重要になっていると気づいた。
1曲目と同じ雰囲気で続く。趣向を変える。少し落ち着かせる。急に加速させる。
とにかく1曲目でつかんだ流れを離さないことが2曲目に求められる。
(勝手に求めている。)
これはつまり野球の打順と同じなのだ。
1番バッターが球数を稼いで出塁しても、2番バッターが何も考えずに初級からセカンドフライを打ちあげたら何の意味もない。
1番バッターが単打しか打てなくても、2番バッターが長打率が高ければホームに帰ってこれる可能性は高くなる。
アルバムというのは打順だ。
そう考えると、好きなアルバムの楽しみ方が増えてもっと好きになった。
個人的に一番好きな1曲目から2曲目の流れは、The Zombiesの超究極最高名盤、
「Odessey and Oracle」。
1曲目の「Care Of Cell 44」はThe U.Kという趣で、これでもかというくらいポップなんだけれどどこか影がある。
「ああ、これからアルバムが始まるんだ」と、いつ聴いてもワクワクしてしまう。
初回から先頭打者が2ベースで出塁したくらいのワクワク。
次の2番バッターはどうするか。
2曲目、「A Rose For Emily」。
1曲目のあのキラキラワクワクポップスから一転、このピアノとコーラスワークで押し切る感じ。
激シブ。
7球目くらいでセカンドゴロの進塁打とでも言うような。
1アウト3塁が一番得点が入る気がしてしまう。
そんな理想的な2曲目。
2曲目以外には居場所がないような美しい曲。
もちろん 「Odessey and Oracle」全体でもジャケットも含めて言わずもがなのパーフェクトな名盤なのだけれど、やはり最大の魅力はこの1曲目2曲目の流れの美しさにあると思う。
音楽にはまだ色々な楽しみ方があっていい。
パイヤイヤイヤイヤン
もう一か月以上も前のことだけれども、どうしても書かなければいけないと思った。
渡辺麻友という存在が、芸能界から去ったということ。
今更ではあるけれど、いろいろ考えた今だからこそ言葉にして残しておかなければという思いが今熟してしまった。
渡辺麻友は本当に自分にとって難しい存在だった。
人間的であるということをこれでもかと発露させることで人々を飲み込んでいったAKB48という現象の中でも一際異質だったと思う。
感情を見せず、無機質さすら感じてしまうその姿にはある意味で自分にとって恐怖の対象だった。
人間的であることをこれでもかと露わに、むき出しにすることが真に人間的であると、あの頃の自分はそう思っていた。
思わされていた。
麻痺していた。
麻痺させるだけの巨大なものがあのときのAKB48にはあった。
だからこそ渡辺麻友は異質な存在だと自分の目には映ってしまっていた。
人間的であるということを勝手に自分の中で独りよがりに規定しまっていた人間に、渡辺麻友という存在は飲み込めなかった。
感情をむき出しにすることは人々を刺激し、共感を生みやすい。
(もちろんそのぶんだけ反感を買いやすいものでもある。)
その刺激と共感が限界まで膨れ上がったのが選抜総選挙というイベントだった。
膨れ上がりすぎて破裂してしまったので、2018年を最後に行われていない。
その膨れ上がる途中の2014年に1位をとった渡辺麻友に与えられた曲が、
「心のプラカード」。
前年に生まれてしまった「恋するフォーチュンクッキー」という異常なるモンスターのせいで、不運なくらいに影が薄い。
PVも「恋するフォーチュンクッキー」の二匹目のどじょうを狙ったようなマーケティング丸出しのもので、ある意味で曲の本質をぐちゃぐちゃに塗りつぶしてしまっている。
はっきり言ってしまって名曲である。
当時から名曲だとは思っていたけれど、最近さらに名曲だと思うようになった。
ものすごくパーソナルなものであると思う。
秋元康には、選抜総選挙1位をとってもなお渡辺麻友という存在が掴めなかったのだ。
SOSと同時にギブアップ宣言でもあるように思える。
渡辺麻友がAKB48を卒業するにあたり、最後に選抜としてセンターとして発表された曲が「11月のアンクレット」である。
歌詞の内容的には、渡辺麻友がセンターである必要性などまったくない曲であるが、個人的には2010年代のJ-POPで5本の指にはいるくらいの名曲だと思う。
秋元康得意の「男という生物の矮小さ」むき出しの曲をなぜ渡辺麻友の卒業シングルにしたのか。
3年近く考えたけれど、結局一つもわからないまま、彼女は芸能界を引退してしまった。
言語化したくてもできないし、わからない。
ある意味では人間の感情の極だと思う。
言語化出来て、理解ができるものばかりじゃつまらない。
そのことを渡辺麻友は自分に教えてくれたように思う。
今になって渡辺麻友という存在が自分の中で輝きを増してきている。
渡辺麻友という存在がこれからも語り継がれること、そして彼女のこれからの人生が幸福であることを心より祈るばかりである。
「金縛り」考察
金縛りによくあう。
よくあうとは言ったものの、世間一般的に金縛りにあう頻度がわからないので「よく」という言葉が適切かどうかわからないが、平均すると月1回くらいはあう。
自分ではよくあうほうではないかと思っている。
そして、社会通念上の「金縛り」というものに当てはまるのかどうかもわからない。
一般的な「金縛り」といえば、「女の人に首を縛られる」的なものがステレオタイプなイメージだが、僕の場合はそういうものではない。
なので「金縛り」と言っていいのものかわからないけれど、「寝ている間に体が動かないという意識を抱く」という点は共有しているので金縛りによくあうと発言してもいいはずだ。
初めて金縛りにあったのが大学生のころで、かれこれ8年くらい付き合っているが、だいたい同じパターンである。
・真っ暗で布団に横になった、そのときに見える光景と酷似した(少しレイアウトなどが違う)空間で発生する。
・そのことを「夢」だとハッキリ意識した段階からスタートする。
・その空間に知らない誰か(男女問わず)が入り込み、その誰かの気配や影を認知する。
・その気配や影に恐怖を感じ、怒鳴って追い返そうとするが、声も出ず体も動かない。
・声も出ず体も動かないので、「もしこれが夢じゃなかったらどうしよう」という不安と恐怖から、「夢」と「現実」の境目がわからなくなる。
・「夢」と「現実」の境目がわからなくなること、声も出ず体も動かないこと、そして謎の人間の気配や影そのものへの恐怖が最大限になった瞬間、なんとか声を発するが、とてつもなく情けない声。
・その情けない声が発された瞬間と同時に目が覚める。
以上が私的金縛り黄金パターンである。
色々と不思議なことはあるけれど、一番不思議でかつ自分でも興味深いのは、「女の人に首を絞められている」的な霊感物語ではなく、いつもハッキリと「人間」の存在や影に恐れているんだと自分で意識している点である。
今思い返せば、例えば小さいころに実家で、夜に自分の部屋がある2階へ上がるのが怖かったときがあるが、幽霊的なものへの恐怖ではなく、「とんでもねえサイコキラーが2階にいたらどうしよう」的な恐怖だった。
もちろん幽霊的なものを全く信じずに恐れてもいないわけでもないけれど、それよりも生身の人間への恐怖が勝る。
幽霊は自分の身に危害を加えないが、生身の人間は加えうる。
その恐怖が潜在的にあって、「夢」で顕在化しているんだと、自分で勝手に考察している。
声が出ない、体が動かない、といったことはただの副産物のようなものだと思っている。
まず一番は「とんでもねえ人間」への恐怖だ。
なんでこんなことを書いたかと言うと、今朝も金縛りにあった。
あいたてホヤホヤのホットな状態で何か書き記そうと思ったから。
ちなみに今朝は「なんや~お前~うわぁ~・・・」という、極限まで震えた自分の声で起きた。
情けなさすぎて恥ずかしくなって、とりあえずトイレでタバコを一本吸った。
N君へ
額に傷がある。
測ったことはないけれど、恐らく10㎝前後だと思う。
初対面の人間でもハッキリと傷があるとわかる程度の傷がある。
小学4年生のころに交通事故で負った。
交通事故と言っては相手方に申し訳なるくらい、完全に自爆だった。
自転車で走行中、目前に歩道上で路上駐車をしている車を確認し、避けようとして車道に出ようとした瞬間、そこから記憶がない。
後から警察から聞いた話では、車道に出ようとしたときに、歩道と車道を隔てる境界ブロックに自転車の後輪が接触し転倒、そのまま頭から渋滞待ちの車にダイブしたらしい。
目が覚めると、一目で警察とわかる警察の人、いかにも善良そうな二人のおばさん、そして今にも泣きそうなN君の顔が視界に入った。
右手で額を抑えていた。
中指がすっぽり入るくらいの溝が額にあるのがわかった。
警察の人に尋ねた。
「僕、どうなってるんですか?」
「額が裂けてるよ。」
ああなるほど、額が裂けてるんだなと思った。
頭から車にダイブし、被っていたヘルメットが割れ、そのヘルメットが額に刺さり額を裂いたらしい。
その後救急車で病院に運ばれ、30針ほど縫う手術をした。
その手術痕が額にある。
その日はN君と、当時ハマっていたカードゲームのカードを買いに、学区外にある小さなおもちゃに行く途中だった。
僕が通っている小学校の校則では、学区外に遊びに行くのは5年生になるまで禁じられていること、自転車に乗る場合は絶対にヘルメットを被ることが定められていた。
学区外に遊びに行くことは校則を破ることだったが、ヘルメットを被るという校則は守っていた。
今思い返してもなぜ片一方の校則は何の罪の意識もなく破り、片一方はちゃんと守っていたのか、不思議なズレや歪みを感じる。
そしてそんなズレや歪みが結果的に命を守ったことに、つくづく運命の妙を感じてしまう。
ヘルメットがなければ完全に頭自体がバックり割れて死んでいたと思う。
N君とは、小学3年生と4年生の2年間だけ仲が良かった。
それまでは多分話したことすらなかっただろうし、それ以降も話した記憶がない。
小さいころの友達というのはそういうものかもしれないけれど、そこまで局所的な友達は後にも先にもN君だけだろうと思う。
N君の家に遊びに行くことが多かった。
彼には弟もいて、その弟と一緒にゲームをしていた記憶がある。
とにかく2年間だけとても仲が良かった。
それから数年後、たぶん10代の後半のころだったと思う。
母親の車に乗って、町内のあるところを走っていたとき、母親が言った。
「N君覚えてる?ここで交通事故があって、N君の弟が亡くなったんよ。」
ビックリして言葉に詰まって、N君の弟の顔と、そして僕の事故のときのN君の泣きそうな顔を思い出した。
N君の弟の冥福を心の中で祈った。
それからさらに十数年後、小学生のときの同級生たちと酒を飲む機会があった。
当然のように昔話になり、昔の友達たちの話になった。
「そういやNって覚えてる?交通事故を起こして、相手の人亡くなったらしいよ。」
言葉が出なかった。
僕の交通事故のこと、母親からN君の弟が交通事故で亡くなったこと、そしてなによりまたあのときのN君の泣きそうな顔を思い出した。
何か小説でも読んでいるかのような気分になった。
毎朝顔を洗う時に鏡を見ると、やっぱり額に傷がある。
「目立たないように薄くなんねえかな」と毎朝思うが、これも自分の一部だと最終的に思い、また傷なんてなかったように忘れて一日を過ごす。
N君へ、元気ですか。