僕とナインティナイン

いつからか、何がきっかけだったのか、なぜなのか。

思い返してみると、もう覚えていない。

僕は「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴いて育った。

そして間違いなく人生において多大なる影響を与えたものの一つだと認識している。

中学時代、高校時代、高校を辞めて大阪で一人暮らしをしていた時代、実家に戻って大学受験のための勉強をしていた時代、大学時代、また実家に戻って就職していた時代。

いつの時代も生活の一部として存在した。

特に大阪での一人暮らし時代は本当に孤独だったので、一日中部屋にこもってMDに録音していた過去の放送をずっと聴いた日が何日もあった。

聴いているときは寂しくなかった。

 

「じゃあナインティナインのファンなのか」と問われれば、ノータイムで「そうだ」と答えないと思う。

もちろん「めちゃ×2イケてるッ!」直撃世代ではあるし、当然のように毎週見ていた。

日本テレビ系で毎週土曜の23:30から放送されていた「ナイナイサイズ」も、前の時間帯の「恋のから騒ぎ」とセットで、土曜の深夜のスタートのルーティンの一つだった。

毎年、年越しは日テレのナインティナインの特番を見ていた記憶がある。

なぜ「ファン」ではないのか、なかったのか。

自分の中で「ラジオのナインティナイン」と「テレビのナインティナイン」は断絶されていた。

メディア毎に違うキャラということではなく、完全に別の個体という認識があったように思う。

27時間テレビ」をはじめテレビの特番の反省をしたり、テレビの立ち振る舞いを明石家さんまに採点されるというネタハガキもあった。

あの今や伝説ともなっている2014年3月の「笑っていいとも! グランドフィナーレ」。

その反省や裏側を興奮しながら話す岡村隆史の言葉を聴いても、「テレビのナインティナイン」と「ラジオのナインティナイン」は自分の中でリンクすることがなかった。

 

この感覚はひょっとすると、radikoの普及以前、もっと言えばラジオの発言が切り取られネットニュースになる時代以前、ラジオが社会性を伴う時代以前にラジオ(特に深夜ラジオ)を当たり前に摂取してきた人間にとっては心当たりのあるものなんじゃないかと思う。

もちろん全員に共通する感覚だとは言わないけれど、理解を示してくれる人間も少なくはないのではと思う。

僕の場合は「ナインティナイン」がそれだっただけだ。

 

今回の一連の騒動で、「チコちゃんに叱られる!」の降板を求める署名が行われている。

ラジオでの発言で、テレビに影響が及ぶ。

どちらも岡村隆史個人の問題ではあるけれど、自分の中で断絶されていた「ラジオのナインティナイン」と「テレビのナインティナイン」が初めてリンクした。

別の個体ではなかった。

社会性とはそういうものなんだと感じた。

 

思わぬ副産物として、「ナインティナインのオールナイトニッポン」が復活した。

ワンコーナーの短い時間だけではあったものの、岡村隆史がネタハガキを読み、矢部浩之がそれに対してリアクションをする。

まぎれもなく「ナインティナインのオールナイトニッポン」だった。

「おいしいもんね」「細いよね、アメ車」と言う矢部浩之の空気感は、間違いなく矢部浩之にしか出せないものだったと思う。

僕はこれが本当に好きなんだなと思った。

また聴けるチャンスがあれば良いなと思った。

それと同時に、これが本当の最後になってしまうんじゃないかという予感めいたものも存在した。

 

社会性を伴い、断絶がなくなった「ナインティナイン」のラジオを聴けるその日を待ち望んでいる。

 

 

ここ3日で、ウィリアム・サローヤンの「ヒューマン・コメディ」を読み返した。

「人間に関すること、これはよく注意せねばいかんよ。何かを見て絶対に間違ってると思ったら、本当に絶対に間違ってるかどうか、考え直すことだ。」

読みたいときに読みたい本があることは本当に幸せだと思った。

2020年のゴールデンウィークがもう終わってしまう。