「あー死ぬこれ死ぬ」

まだ徳島の会社に勤めていたある日の朝。

目覚めたときから右の腰の部分に違和感があった。

当時は慢性の腰痛を抱えていたため、腰が痛かったり違和感があったりするのは日常茶飯事だったが、その日の違和感は特別なものだった。

何か冷たくてとても鈍い違和感だった。

 

とは言っても違和感くらいで休める仕事ではなかったのでいつも通り出勤し、仕事の準備に取り掛かっていた。

時間が経つにつれ、違和感が徐々に大きくなっていくのを感じた。

まるで体内で鉛の球体がどんどん膨張していくような感覚。

「これはちょっとなんかヤバイかも」

と思ったか思わないかのその瞬間に、思わず机に顔を突っ伏してしまった。

激痛。

というより痛みなのかどうかすらもわからないくらいの衝撃だった。

鉛の球体は膨張しきり、内臓を圧迫し、内側から体を破裂させようとしている、そんな意志を感じた。

座ることすらもままならず、床に倒れた。

のたうち回った。

頭は回らなかった。

必死に同僚に救急車を呼んでもらうことが精一杯だった。

唯一の同僚とパートの女性の2人は、ただただうろたえていた。

「あー死ぬこれ死ぬ」

こんなとこで死ぬのか、この会社で28歳で、こんな人生の現状で死ぬんだなと思い、今までの人生を振り返った。

何もなかった。

 

とにかく救急車が早く来てくれることを祈った。

サイレンが聞こえたので階段を這うように降りた。

割と綺麗目のスーツを着ていたがそんなことを考える余裕なんてない。

とにかく早く救急車に乗って病院に行くんだと、そう思った。

人生で2回目の救急車に乗った。

初めて自分の意志で呼んだ救急車。

なんで今自分がこんな状況で、それがわかる手がかりはないかと隊員の人に現状を伝えた。

今までに同じように鉛の球体が体を破裂させた例はないのか。

それが知りたかった。

隊員の人はとても冷静に、まるで今日の日付を聞かれたから答えた、とでも言わんばかりのトーンで言った。

「ああ、たぶん尿管結石ですね。」

 

は?

尿管結石?

あの中年の人とか太ってる人がなるっていうあの尿管結石?

あの石のやつ?

 

「そろそろ痛みがちょっとずつ引いてきたんじゃないですか?」

言われて気付いたが、確かに痛みが引いてきた。

というより「痛み」だと感じるくらいになった。

あとから調べてみると、救急車の振動で石が移動して痛みが和らいでくるという例が少なくないらしい。

病院についたころにはほぼ痛みなんてなくなっていた。

 

CTスキャンを撮り、病院の先生の説明を聞きながら写真を見た。

たった1mm大くらいの物体がポツンと体内にあった。

内臓を圧迫するほどの大きさの鉛の球体だと思っていた物の実の正体だった。

こんな小さい小さい鼻くそくらいの大きさの物のせいで死を覚悟したことを思うと、無性に腹が立ち、そして悲しくなった。

痛くなったときのためにと座薬を処方してもらった。

座薬を自分で入れている姿を想像してまた悲しくなった。

職場に戻った。

 

正体を知ると本当に拍子抜けてしまうが、

「あー死ぬこれ死ぬ」

という感覚は大げさでもなんでもなく、経験した人にしかわからないものだと思う。

みなさんも人生に一回くらいは、尿管結石を体験してみてはいかがでしょうか。

「劇団 ギャングちょんまげ」について

5月のあの日、少し曇りがかった昼と夕方の間の時間帯に、徳島県は東みよし町と井川町を結ぶ鉄橋の下の畑で、バラエティ番組の撮影が行われていた。

撮影には一組のお笑いコンビと、二人のグラビアタレントが参加していた。

 

コンビの名前は「劇団 ギャングちょんまげ」。

大衆演劇を基調にしたネタを得意とし、徐々にではあるけれども、名前は世に広まりつつあった。

諸井とモローの二人組で、ともに28歳。

高校時代の友人という間柄でコンビを結成した。

諸井はどちらかというと社交的で、先輩芸人や業界人にもかわいがられ、コンビの人脈作りを担っている。

反対にモローは物静かで気難しく、あまり芸人仲間などと関係を持とうともしないが、ネタ作りの大半はモローが担当している。

よくありがちな役割分担である。

二人はネタ中以外でも、仕事のときは絶対にネタでかぶる大衆演劇用のカツラをかぶっている。

二人の意見が合致した上でのかつら着用ではあるが、本質は異なっていた。

諸井には、視聴者や客に対し視覚的に定着してもらうためのキャラ付けという意図があった。

モローは、芸人でいる時間とプライベートな時間とをはっきりとわけるためのスイッチ的な役割としてかつらを用いていた。

本質は異なるが、意見が合致しているのだからそれでいいのだ。

二人は今年を勝負の年として見ており、テレビのコントのコンテスト番組での決勝進出は絶対目標である。

その点は二人は当然として共有していたが、その他の仕事のスタンスに関してはズレが生じていた。

諸井はバラエティ番組にも積極的に出て名前を売り、そのことが決勝進出にも繋がるだろうと思っている。

モローはバラエティ番組には否定的であり、そんな時間があればネタを練りライブに一つでも多く出演するべきだという考えがある。

二人はコンビを名乗っているが、実は他にも4人の流動的なエキストラメンバーが所属していた。

二人は4人にはギャラを払っていなかった。

諸井は、これから売れていこうとしているのだから、そういう部分に関してはちゃんとしていかなければいけないと思っている。

だから世間にバラエティ番組に積極的に出演し、4人のギャラ分を貯めていく必要があると考えている。

モローは、4人にギャラを払うのはまだいいと思っていた。実際4人とも「楽しいからギャラはいらない」と言っているし、自分たちの生活もまだ安定していないのに、ギャラを払っていたら逆に4人に気を使わせてしまうのではという考えがある。

とにかく二人には様々な思い、感情、思想があった。

 

この日のバラエティ番組の撮影にも、二人のスタンスが表れていた。

積極的に番組を回す諸井と、やや抑え気味のモロー。

もちろん二人の頭にはかつらがかぶせられている。

撮影は淀みなく進み、畑の野菜を収穫するシーンになった。

すると、なぜか共演の二人のグラビアタレントが急に水着になりだしたかと思えば、間髪入れずに上の水着を脱ぎだし、畑にダイブしだした。

まさかの事態にパニックに陥る諸井とモロー。

「なんだこれは!こんなこと今の時代には絶対にダメだ!せっかくのバラエティのチャンスが、二人のチャンスが台無しになってしまう!」

 

 

 

ここで目が覚めた。

携帯を見るとまだ5時50分だった。

立ち上がりトイレを済ますと、諸井とモローが実際には存在しない寂しさと、それを上回る「あと1時間半も眠れる」という喜びを抱え、再びベッドに横になった。

 

ここまでこんな文章を読んでいた方、申し訳ありません。

夢オチです。

「劇団  ギャングちょんまげ」という言葉のとてつもなく強烈な響きと、「諸井」と「モロー」という字面の良さが頭から離れずに書いてしまいました。

(二人の名前を合わせて「諸井モロー」。めちゃくちゃいい。何かチャンスがあれば名乗ってみたい。)

ごめんなさい、ストロングスタイルの夢オチです。

 

 

僕とナインティナイン

いつからか、何がきっかけだったのか、なぜなのか。

思い返してみると、もう覚えていない。

僕は「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴いて育った。

そして間違いなく人生において多大なる影響を与えたものの一つだと認識している。

中学時代、高校時代、高校を辞めて大阪で一人暮らしをしていた時代、実家に戻って大学受験のための勉強をしていた時代、大学時代、また実家に戻って就職していた時代。

いつの時代も生活の一部として存在した。

特に大阪での一人暮らし時代は本当に孤独だったので、一日中部屋にこもってMDに録音していた過去の放送をずっと聴いた日が何日もあった。

聴いているときは寂しくなかった。

 

「じゃあナインティナインのファンなのか」と問われれば、ノータイムで「そうだ」と答えないと思う。

もちろん「めちゃ×2イケてるッ!」直撃世代ではあるし、当然のように毎週見ていた。

日本テレビ系で毎週土曜の23:30から放送されていた「ナイナイサイズ」も、前の時間帯の「恋のから騒ぎ」とセットで、土曜の深夜のスタートのルーティンの一つだった。

毎年、年越しは日テレのナインティナインの特番を見ていた記憶がある。

なぜ「ファン」ではないのか、なかったのか。

自分の中で「ラジオのナインティナイン」と「テレビのナインティナイン」は断絶されていた。

メディア毎に違うキャラということではなく、完全に別の個体という認識があったように思う。

27時間テレビ」をはじめテレビの特番の反省をしたり、テレビの立ち振る舞いを明石家さんまに採点されるというネタハガキもあった。

あの今や伝説ともなっている2014年3月の「笑っていいとも! グランドフィナーレ」。

その反省や裏側を興奮しながら話す岡村隆史の言葉を聴いても、「テレビのナインティナイン」と「ラジオのナインティナイン」は自分の中でリンクすることがなかった。

 

この感覚はひょっとすると、radikoの普及以前、もっと言えばラジオの発言が切り取られネットニュースになる時代以前、ラジオが社会性を伴う時代以前にラジオ(特に深夜ラジオ)を当たり前に摂取してきた人間にとっては心当たりのあるものなんじゃないかと思う。

もちろん全員に共通する感覚だとは言わないけれど、理解を示してくれる人間も少なくはないのではと思う。

僕の場合は「ナインティナイン」がそれだっただけだ。

 

今回の一連の騒動で、「チコちゃんに叱られる!」の降板を求める署名が行われている。

ラジオでの発言で、テレビに影響が及ぶ。

どちらも岡村隆史個人の問題ではあるけれど、自分の中で断絶されていた「ラジオのナインティナイン」と「テレビのナインティナイン」が初めてリンクした。

別の個体ではなかった。

社会性とはそういうものなんだと感じた。

 

思わぬ副産物として、「ナインティナインのオールナイトニッポン」が復活した。

ワンコーナーの短い時間だけではあったものの、岡村隆史がネタハガキを読み、矢部浩之がそれに対してリアクションをする。

まぎれもなく「ナインティナインのオールナイトニッポン」だった。

「おいしいもんね」「細いよね、アメ車」と言う矢部浩之の空気感は、間違いなく矢部浩之にしか出せないものだったと思う。

僕はこれが本当に好きなんだなと思った。

また聴けるチャンスがあれば良いなと思った。

それと同時に、これが本当の最後になってしまうんじゃないかという予感めいたものも存在した。

 

社会性を伴い、断絶がなくなった「ナインティナイン」のラジオを聴けるその日を待ち望んでいる。

 

 

ここ3日で、ウィリアム・サローヤンの「ヒューマン・コメディ」を読み返した。

「人間に関すること、これはよく注意せねばいかんよ。何かを見て絶対に間違ってると思ったら、本当に絶対に間違ってるかどうか、考え直すことだ。」

読みたいときに読みたい本があることは本当に幸せだと思った。

2020年のゴールデンウィークがもう終わってしまう。